「文章を書く時、それが明るい話題であればどこかに影があってほしい。それが暗い話題であれば、すべてが暗いまま終わるのではなく、小さな明かりや希望がほしい」。
10年ほど前に記者の大先輩から教えていただきました。
私の仕事は写真を撮ること。写真も、光があるから影が、影があるから光が生きるものです。
絵本の中の光と影について、園長先生にお聞きしました。
―時々本屋さんに行くと、幸せいっぱいの明るい絵本がたくさん並んでいます。ゾウやゴリラや、キリンやウサギ、可愛い動物が次々出てきて、楽しく遊んだり食べたりして、良かったね、おーしーまい!というのが結構多いのですね。ところが日本の昔話や海外の昔話のコーナーへ行くと、少し空気が違います。貧乏だったり小判がザクザク出てきたり、意地悪だったり優しかったり、誰かを悲しませてバチが当たったり。とても怖かったり、残酷だったり。人間の本性がのぞいているというか、光と影の輪郭がくっきりしています。ただ、「おむすびころりん」のように欲張りばあさんと欲のないばあさんが出てきてバチが当たったりするのは、若干説教くさい感じもしますが・・・。
園長「でもね、そういうお話を聞かせていると、戦争はいけないなとか、自然にそういう子になるよ」。
―なるほど。
「斉藤公子先生が読み聞かせに選んだお話もそういう本が多いのよ。『サルタン王物語』、『黄金のかもしか』。海外のものの方がはっきり出ているからね。宮沢賢治のお話もいいですよね。『よだかの星』などは、最近はなかなか理解できないですね。沖縄の「白旗の少女」や「かわいそうなぞう」、「火垂るの墓」も20年前の子どもたちは分かったのだけれど」。
―今は生活の中に苦しさとか貧しさとか暗い部分がなかなか見えないですよね。うまく覆い隠しているというか。
「それとね、お話を聞いて、三次元へふくらます力が足りない。テレビなどの影響で二次元の世界ばかりになってしまいがちですよね。ページを開いて『あーここにお日様がある』とかね、そういう感じでしょう。『山が高いねー』とか『お空赤いねー、どうしてだろう?』とか、そういう風にふくらんでいってほしい」。
―それにはやはり、現実の世界をたっぷり、しっかり実感することですね。それも自然の中でたくさん遊んで。
「そう、五感をたくさんたくさん働かせてね。泥んこで遊ぶにしても、裸足にならなければ分かりませんよ、泥の本当の感触は」。
お話を三次元の世界へとふくらませる力。
日々の生活や遊びの中で、そういうものを育てているのだな。
目には見えない力を育てているのですね。