小僧さん2歳8カ月。
「そろそろ多摩川河川敷のロングコースを歩いてみよう!」という園長先生です。
鵜の木の東京高校あたりから、かつて『巨人軍多摩川グラウンド』と呼ばれていたところまで。
往復7〜8キロのコースです。
まずは少し短めの距離で試してみて。
園長「いけそうだね。だいぶ力がついたね!」
-体力がつきましたかねー?
「それと、見とおす力ね」
-見とおす力?
「あっちに行くとブランコがあるよーと誘っても、3月は途中で遊んでしまって先に進まなかったのよ。今はブランコまで歩こうってイメージして進めるようになった」
-なるほど、目に見えるものに飛び付くというか、即物的だったわけですね?
「空間の向こうにある、見えないものにまでは心がいかなかったのね」
-時間を見とおす力は?
「それは6歳になってからです」
その翌日、見事に全行程歩いてきたそうです。
なんとも誇らしそうで、みんな少々ハイになった様子。
小僧さんはその日、お昼寝をせずに一日乗り切りました。
さてその週の金曜日の朝のこと。
起きたらパパがいなかった。
「パパは山登りに行ったよー」
「どこのお山?」
「あっちの方の遠くのお山」
小僧さんは椅子の上に立って窓の外をじーっと眺め、
「ね、見えないでしょ。とおーくなんだよね」。
この景色の先の先のどこかにパパがいるという気持ち。
その視線や言葉から、小僧さんの空間認識のスケールがぐぐっと広がったのを感じました。
『遠い』ということの意味を身体で味わった小僧さん。
見とおす力とは、そういうことも含めての空間と自分との距離を測る力なのでしょう。
この日パパは久しぶりの登山でした。
北アルプスを一望できる燕岳。
いつかみんなで一緒に登りたいね。