こんにちは。
東京は雪が降っています。
今日はお休みをいただいて、家でのんびり。
これくらいたっぷり時間があると、なんとかブログにたどり着くのですが・・・。
妊婦になると、とくに「考えること」をサボりたいらしい。
そんな自分に素直に従っていたら、こんなに日々が経ってしまいました。
さてさて以下は、ずっと書きたかった絵についてのお話しです。
皆さん、子供が絵を描いている時、隣でどうしていますか?
子供によって個人差があるようですが、思うままに絵を描くのを見守っていると、2歳から2歳半頃でしょうか、いつしかぐるりとマルを描きます。
そのマルがきっちりと閉じた時。
そのマルの中に目が二つ描かれた時。
そのマルから二本の足がニョキニョキと出てきた時。
そのたびに「心がここまで育ったのね!」と本当に感動します。
だから絶対に「おめめは?」「手はないの?」などとは言いません。
では、子供が絵を描いている時大人はどうしたらいいのでしょう?
少しさかのぼりますが、小僧さんが2歳と3ヶ月の頃のこと。
私は保育園へのお帳面にこんなことを書きました。
「昨晩は、絵を描いたら、マルがつながった!ここ数日、『マル』という言葉を話しているような気がしていましたが・・・」。
その夕方園長先生に言われたことは。
「あのね、マル、という概念すら教えてほしくないの」。
「はあ~そうでしたか~」。
小僧さんが道路の模様を見て「マル」と言っていたのではなく、多分私が「マルだねえ」と言っていたのでしょうね。
そして園長先生は、「ぐるっと描くでしょう。『何を描いたの?』って聞いてみると『リンゴ!』。またぐるっと描く。『これはなあに?』『うーん、みかん!』。それがね、想像力なんです。そのうちに、そのマルの中に目がでてきて『これママ!』となるんですよ」。
「這えば立て立てば歩めの親心」といいますが、辛抱して見守っているつもりでもなかなか。
気づかないところでチョイチョイっと手出し口出ししているのでしょうね。
あれ以来、小僧さんが絵を描くとただただ「これは何?」って聞いています。
毎回毎回本当に面白い答えが返ってきますよ。
ご参考まで、こちらはお帳面に園長先生が書いてくださったコメントです。
「丸の意識が先に来るのかな?描くことの楽しさ、表現しては『パパ』、『ママ』、『だいこん』等々、生活の中で心に残ったことが絵に出るのが自然なんだけれど。『丸描いたのね』の言葉と丸がイコールになったのかな?」
自然な成長を待つ大切さ。自然な成長を待つ難しさ・・・。