新しい日々ー移住ノオトー

2014年2月12日 / 家族のできごと。

助産院体験。

 

 

この度の出産でお世話になった

ほのか助産院

宮崎県都城市にあって、

私が住む町からは1時間ほどの距離。

助産師の安藤直美さんは

東京や神奈川の助産院で経験を積まれてから、

故郷の都城に戻られ、

ご自身の助産院を開かれたそうです。

宮崎市内には残念ながら助産院が一軒もない上に、

安藤さんの朗らかで愛情深いお人柄もあって

県内の各地から妊婦さんや

赤ちゃん連れの産後のお母さんたちが

この助産院に通っています。

 

 

ここで産めて本当によかったと思うのは

愛があること、

信頼があること、

余裕があること、

つまり心があること。

人と人のおつきあいであったことです。

病院ではちょっとありがちな

どこか事務的な「診療」とは違って

(すべての病院がそうだとは思っていません)

私も赤ちゃんも安藤さんに「会いに行く」、

そんな感じで約10ヶ月を過ごしたように思います。

安藤さんは、私のような不良妊婦に対しても

決して責めたり咎めたりするような言葉を

かけられることはなく、

常にこちらを信頼し応援してくださったのです。

予定日よりかなり遅れての出産になったため

私自身もうっすらと、

そして周りにも当然心配する声が多かったのですが、

安藤さんとテルミーをかけてくださる

安藤さんのお母様は

ずっとずっと「大丈夫」と見守って、

赤ちゃんの気配を感じ取ってくださっていました。

 

 

「人間もほ乳類だから、暗闇で赤ちゃんを産むのが

元々の野性。夜中の出産が多いのはそのため」

と聞いていた通り、

私も遅い夕方になって陣痛が始まりました。

陣痛が10分間隔よりも短くなったときに都城へ。

夫と娘とともに

22時頃に助産院へ到着しました。

出産はお布団を敷いた

間接照明だけの薄暗い畳のお部屋の中。

陣痛があるものの、その明かりのお部屋に

入っただけで、自分が子宮のなかに入ったような

不思議な感覚になりました。

何もこわいものも心配するものもない、

嗚呼、もう大丈夫なんだ、

やっと赤ちゃんを迎えるときが来たんだ、

という様々な安心感に包まれていたように思います。

 

 

生まれるまでのあいだ、

安藤さんはずっと「マオさん、

上手ね〜そう上手! そうよ〜」と

私の陣痛の迎え方を褒めてくれます。

決して本当にうまいわけではないと思いますが、

褒めてもらえると陣痛が嫌で辛いものではなくなる。

そして嬉しい。

木に登った豚のように

陣痛のあいだを過ごせたように思います。

途中で

「ほら!マオさん、頭が出てきたよー

触ってみる?」と安藤さん。

手をオマタの方に伸ばすと

ほんとだ! もしゃもしゃの髪の毛だ!

もう少しなのね!

そして朝の3時25分。

助産師を目指す学生の方が3人、

そしてサポートの助産師さんFさん、

安藤さん、夫、娘という

たくさんの応援隊に見守られ、助けられながら、

二女が

それはもうびっくりするくらい

にゅる〜〜んと、すぽーーーんと

気持ちよく出てきました。

出てくる瞬間は痛みも何もなくて

気持ちよさと喜びのみしか感じなかったことに

とにかくびっくり。

出しきった瞬間に

「え! 今の何??」と驚きのあまり

目を見開いて確認するほどの感覚でした。

 

 

二女も生まれて二声くらい泣いたでしょうか。

でもあっという間に穏やかな様子。

で、目をかっと開いて辺りをぐるりと見回しました。

ひょえーーー!

なんたる余裕!

わたしの方も夫が臍のを切ったり、

驚くほど巨大な胎盤が出てきたのを見たり、

今回の出産はなんだか余裕がありました。

それは母体にとっても胎児にとっても

優しい出産だったからかと思います。

そういう出産を安藤さんがさせてくれたから。

 

 

助産院というところ。

赤ちゃんという人が生まれるところ。

命の生まれるところ。

本当にたくさんの妊婦さんが

助産院という選択を考えられたらいいなー

と自分の体験を通して思いました。

 

 

 

 

写真は娘が撮ってくれた出産中の私、

だと思う……。

 

 

 

ほのか助産院のみなさま、

一晩中、喜怒哀楽剥き出しで応援してくれた娘や夫、

生まれる数時間前まで宮崎に来てくれていた

東京の両親、

そして家族や友人たちにも

感謝申し上げます。

ありがとうございました。