実家の愛犬ボニートが
今日虹の橋を渡った。
12歳8ヶ月。
フレンチブルドッグのなかでは
かなり長生きしたほうではないだろうか。
病気になってからも
若い衆(他に3匹います)には負けてられるか、と
はりきりおじいちゃんぶりを発揮していたが、
最期は自宅で眠るように亡くなったそうだ。
長女にとって
生まれて初めての“知っている誰かの死”。
「ボニートが今日死んじゃったんだって」
というと、
「かわいそう」「かなしい」と
言うのだけど、どこかその調子は上の空で、
「どうしてボニートは死んじゃったんだろう」と
何度も言う。
彼女はとにかく知りたいのだ。
「ボニートは病気で死んじゃったのよ」
「ふーん」のあとに考えてる。
なぜ病気だと死ぬのか。
なんで病気になるのか。
なんでボニートは死んじゃったのか。
死んだらどうなっているのか。
この繰り返し。
いろんなふうに説明してみたつもりだが、
どれも彼女の納得する答えにはならなかったみたい。
5歳の脳みそで、心で、
一生懸命考えている。
なぜボニートは死んだのかって。
それがわかったら、初めて悲しむんだろう。
ボニート、最期までありがとう。
ボニートとは今世、またどこかで会える気がするよ。
さよなら、ボニート。
また会う日まで!