今までこんなにも年賀状に
手をつけなかった年があるだろうか。
七草粥の日を過ぎても、今もなお
分厚いまま残っている年賀状の束。
だいいち、本当なら祖父が亡くなったのだから
本当は年賀状は出さないもの、
という常識も欠如していた。
2015年のクリスマス。
サンタクロースには「欲しいものを頼む」のではなく、
今好きなことや得意なことを
お手紙に絵を描いて伝えれば
それにあったものをサンタさんが考えて
持ってきてくれるとのことで…
長女が描いたのは「歌うこと」。
どうやらマイクが欲しい、と暗に匂わせているようだ。
が、熟慮を重ねたサンタクロースが
プレゼントに持ってきてくれたのは
紙粘土と米粉粘土、
詰め込んだかわいい箱だった。
長女にも次女にも同じもの
(絵の具は一箱のみ)。
思っていたものとは違ったけれど喜んでいた長女が
あ!もしかしてサンタさん、
この粘土でマイクを作ってってことなんじゃない⁉︎と
気づいたときは、さらに表情が輝いていた。
次女は紙粘土を
おもちゃのヘアブラシの毛と毛の間に
埋め込むという独自の遊びにはまっている…
(もうブラシは使えそうもない)。
その次女は、最近少しだけ言葉が文章化してきた。
「ママ、ここどうぞ」「ママ、いたい?」
「パパ、ねんね?」
今の大ブームはなんといっても
「これなに?」に尽きる。
迎えに行った瞬間から、
「ママ、これなに? これなに?」と
壊れたレコードのようにリピートされるこの言葉。
「きのこ、よ」「なに?」「きのこ」
「ん?」「きのこ」「ん?」「きのこ」
「ん?」「きのこ」「ん?」「きのこ」
「ん?」「きのこ」「ん?」「きのこ」
と、このやりとりも長いスパイラルに入る。
とりあえず次女が聞き返さなくなるまで、
繰り返し答えることにしている。
そうだ、3連休中に次女は初めて
自転車の後部座席に乗るという経験をした。
年末年始は東京へ。
祖父がいなくなり、愛犬ボニートがいなくなり、
でも従兄弟がパートナーを初めて連れてきたりで
4世代17人(うちこどもが4人)で
集まることができた。
とても幸せで、ジーンとする集いだった。
祖父も喜んでいるのがよくわかった。
お正月の集まりを何年も迎えてきた実家は、
私が中学3年生のときに完成した建物。
これからのことを考えて、
このお正月を最後に、建て替えられることになった。
私のやさぐれ時代、
長い長い反抗期のすべてを見届けた家である。
最後のお正月には、両親が
弟や私が幼少期に遊んでいた木の滑り台と
かわいい木馬を出してくれているという
粋な計らいあり。
木馬にまたがりひたすら
じゃんかじゃんか揺れ続ける長女よ、
いったい何を想っていたのか……
昨日は実家の愛犬、デコが
星になったと聞いた。
去年星になったボニートとデコは父娘。
今頃、再会できて喜んでいるだろうか。
デコ、ありがとう。
以上、昨年から今年への備忘録。
今年は「手放す」「浄化」の年、と聞いた。