身内を褒めるようで恐縮だが、
先の夫の記事を読んで
この人がパートナーでよかったなと思ったのだった。
愛や恋、のような感情ではなくて…
常日頃から
パートナーシップにおいて
“「嫌」「苦手」「嫌い」「避けたい」と
思うもの・ことが同じであること”は
とても重要だと思っており、
夫はそういう意味で
私にとってよきパートナーである
(元他人だから喧嘩もするし、
こいつー!とか思うし思われるし
いろいろあるが)。
以下、あくまでも個人的見解。
パートナーシップって
お互いにとって嫌なことをした瞬間に
崩れていくように思う。
いくらそれまでに相手の好きなこと、喜ぶことを
たくさんしたことがあったとしても、だ。
これって夫婦関係だけじゃない、
仕事においても同じ。
たとえ社長が自分と同じ目標を持って
がんばっていている人で尊敬していたとしても、
その手段が許せなかったり、
信頼ができなくなったら
よい関係への修復は難しいように思う。
見てみないふりをして働き続けるよりも
違う仕事を見つけるために
アクションを起こした方がずっと幸せだ。
自分の中の揺るぎない「嫌」「嫌い」という思いは
無視しない方がいい。
「好き」を無視するより
ずっと精神的にきつい。
そこを見てみないふりをしていると
自分の感覚が鈍るし、自分に嘘をつくことになる。
仕事は世の中にたくさんある!
とはいっても夫婦関係の場合、こどもがいると
じゃあ、パートナーシップ解消ね!なんて
簡単にはいかないものだ。
たとえば、我が家では、もし相手に
どうしても許せないところがあった場合には
徹底的に話し合う(こどもが寝たあとに)。
冷静に話し合う。
話し合って、
なぜ嫌なのか、なぜやめてほしいのかを
わかってもらえるように尽くす。
いつもは尽くす気配がない私も
このときばかりは尽くす。
だって嫌なことを見るのはイヤだもん。
毎日一緒にいる相手のこと
嫌いになりたくないし。
…
また脱線した
…
そうそう、“勉強”ってなんだろう?
を書きたいんだった。
毎日会う同級生に
末っ子さんが多いというのもあるのかな、
教えてもいないのだが
長女はひらがなが読めるようになり
書き始めるようになり。
うーーん、
書きたい知りたいという意欲は大事だけど、
今じゃないんじゃないかなぁと
ずっと思ってきた。
小学校でできないと恥ずかしい?
たくさんわかっていると褒められて嬉しい?
自分の名前は書けないと変?
そうなのかな?
じゃあ、なんで幼稚園や保育園で
文字を教えないんだろう。
なぜ小学校なんだろう。
私は、できなかったことができる感動や喜び、
できなくて悔しくて頑張ったり、
はたまた悔しくて諦めたり、
そういう感情の積み重ねをできることで
意欲的かつ賢い大人になっていくと思っている。
自分の頭で考えること。感じること。
なぜ?と疑問を忘れないこと。
表現できること。
詰め込んだだけの知識より
大切なことはもっとある。
意欲の芽を摘み取らないように、
でもその意欲をほかに向けられるように…
小学校入学まであと少し。
遊ぶのだ、長女よ!!
そうそう。
私のモヤモヤをすっきりさせてくれたのは
やはりこの雑誌だった。
第一特集。
“勉強”ってなんだろう?
未就学児のお母さんお父さん、要チェック!!
卒乳3日後、
無事に誕生日を迎えた次女。
ケーキ代わりのいちご盛りでお祝い!
現在、おっぱいロスと闘っておるようだ。