震災は私にとってすごく大きなきっかけになった。
少し時間がかかったけど、バチっと目が覚め
新しい価値観のスイッチもバチっと入って、
その目は新しい価値観を携えながら遠くを見つめることができた。
長女の通った宮崎の保育園の先生は野草に詳しくて
こどもたちと摘みに出かけては一緒に料理をした。
家族遠足という日も、どこか遠くに出かけるのではなく
親も参加して、保育園の近所での野草摘みだった。
おとながそれを学びたかったから。
貧しかったから野草を食べていた、と
TVの中で誰かが言うと、周りの出演者がバカにして大笑いする。
養蜂をしたい、と言うと失笑が生まれる。
残念だなぁと思う。
食べられる野草を知っているってかっこいい。
例えば、こういうこと。
震災前の私だったら気づけなかったことだ。
便利至上主義だった、前と上しか望まなかった。
どこから来た野菜かを想像する力を忘れてた。
敵だった。競争だった。
が、震災前だったんじゃないだろうか。
安心安全という言葉があるけれど、
以前取材した方が
「安全があってはじめて安心するんだよ。
だから”安全安心”が正しい言葉だ」って。
安心してるから安全なんじゃなくて、
安全だから安心する。
あの日入ったスイッチはもう消えることがない。