3歳の小僧さん、弟が生まれて何かと頑張らなくてはならない。
年少になって、何かと頑張らなくてはならない。
そのたびに成長して、こちらは目を見張るのです。
でも・・・。
我が子がとってもとっても頑張った時に、お母さんはどんな言葉をかけたらいいのかしら?
少し長くなりますが、この夏の出来事をお伝えしますね。
先日、保育園の夏の行事、丹沢川遊び合宿が行われました。
2泊3日の日程でしたが、その前日は園児と先生たちとで一山手前の秦野に泊まることになりました。秦野でお泊まりして、翌朝丹沢に移動すると、パパやママが到着していて再会。さあ川で遊ぼう、というシナリオです。
(秦野には通い慣れた畑があって、パパたちが作ってくれたちょっとした小屋に泊まれるようになっているのです。)
ところが、我が家はパパが仕事で、一日目は参加できない。もちろんママは2ヶ月の次男を抱えてお留守番です。
つまり小僧さんは、秦野での一泊と丹沢での最初の昼と夜、パパもママもいない中で過ごさなくてはならなかったのでした。
出発の前の晩のこと。
荷物を用意してから、お布団でゴロゴロ。
「なんで(丹沢初日に)パパとママがいないの?」
「ママは赤ちゃんがいるから行けないでしょう。パパはその日は夜遅くまで仕事があるんだって。だけど園長先生がお母さんがわりしてくれるからね」と話すうちに、シクシク、シクシクと。
ああ、頑張らせすぎたかなあ。
「無理に頑張らなくていいんだよ。明日の朝起きてから決めたら?」
そう言って抱きしめると、そのまま眠りについたのでした。
朝になると「早く秦野に行きたいんだよう!」
昨晩のことは忘れてしまったのか!?
いえいえ、きっと仲間がいっぱいで楽しみなのが半分。不安なのが半分だったでしょう。
その朝は元気に出かけて行ったのでした。
さて3日後。一足先に東京へ帰ってきた園長先生が電話をくださいました。
「淡々とやってましたね。頑張っていましたよー。周りのお母さんたちもよく分かっているから優しい言葉かけてくれて、それも分かるんだけど違うんだ、という感じで、パパを待っている気持ちを心に秘めながら淡々とやっていましたよ」。
「そうでしたかー。出発の前の晩もね、シクシクと泣くんです。ウエーンって大声で嫌だーっていうのではなくてね、シクシクと。胸が痛いですよね」。
「帰ってきたらね、『頑張ったね』って言わないでね。しっかり抱きしめて『ママ待ってたよー』とか、『ああやっと帰ってきた!』とか、『嬉しいよー』って声をかけてあげてくださいね。そうすると、こうだったよ、ああだったよって話し始めますから。『頑張ったね』って言うと、また次も頑張らなくちゃという気持ちになってしまいますからね。帰ってきた時の状況を色々想像して、どうしようか考えておくのよ」。
帰宅は意外にもインターホンが鳴り、パパより「荷物いっぱいだから外に出て来られる?」と。赤ちゃんはちょっと泣いていたけれど部屋に置いて、マンション玄関まで出迎えに行きました。
パパがせっせとゴミ捨てしたり、レンタカーから荷物をおろしている傍らで、小僧さんに飛びつき、ギューっと抱きしめて「おかえりー!やっと帰ってきたー」ギュギュギュー。
小僧さんはしばらーく黙って抱きしめられていましたが、ぽちっと「もうおりる」と。「潜ったんだよー。あとね、パパに投げてもらった」お話しが始まりました。
『頑張ったねー』は評価の言葉。
『よくできました!』のハンコを押したら、肩の重荷にもう一つ石を乗っけてしまうことになるのですね。
両手を大きく広げて待っていること。そして全部全部受け入れること。それがお母さんという存在なのかもしれません。
ところで、なぜこんなにも頑張らせたか?
はじめは、パパと一緒に1泊2日の参加を予定してましたが、園長先生より「出産後の里帰りで1ヶ月保育園をお休みして調子が狂ったので、ここでまた出遅れると辛いかなあ。連れて行っちゃおうかなと思うんですが」とのおすすめでした。
私の解釈は。
「川遊びは出だし勝負!まだ人が入っていないまっさらな川を前にして、子供たちの心にどんなインスピレーションがわくのか?そのタイミングを逃させたくない」
いやあ随分な意訳でございますが、少なくとも私はそう思って小僧さんの背中を見送ったのでした。