たのしい催しごと

2012年10月7日 / たのしい催しごと

遊びの中でどうやって力はついていくのか?

土田妙子氏より7月30日の講演会で伝えきれなかったことについて改めて寄稿をいただきました。

遊びの中でどうやって力はついていくのか

 

東京都大田区『子供の部屋保育園』園長・土田妙子氏寄稿

 

みなさん先日はありがとうございました。講演会の内容を振り返り、説明が足りなかった部分を改めてお伝えしたいと思います。

 

先日の講演で時代の変化について話しました。私の子供時代、戦後20年の間に日本も大きく成長し、時代が変わっていることを感じましたが、学校教育の変化くらいでまだ自然は豊かで、0歳から5歳までの子どもの生活にそれほど影響するものではなかったように思います。

 

しかし『子供の部屋保育園』の40年の間には日本もまたまた大きく変わり、それが(0歳から5歳までの)子どもの生活にまで影響することがあまりにも大きかったのではないか、そして子どもの生きる力を弱くしてしまったのではないかと考えます。

 

生活面では文化的になり、便利になった。食の変化も大きいし、外国の食品を始めとして凍食品やまな板を使う必要が無くなる生活、惣菜、弁当屋など、40年前には考えられない時代です。

 

また便利になっただけでなく、情報化社会の中で子育て中の大人たちが情報に振り回され、子どもへの要求が年令相応のものでなくなってきたことも子どもの生きる力を弱くしてしまっているのではないか。

 

生きる力とは、人が人間になるための力、人と人との間で主体的に物事を考え、仲間と力を合わせて生き抜く力なのかと思いますが、それらは環境の中で育ちます。遊びの中でどのように力はついて行くのか?について詳しく話を進めたいと思います。


 

日々生き夏合宿では2歳児を中心としたグループをメインに一緒に過ごしましたが、0歳から3歳までに80%が育つのだと考えています。というのは、0歳から小学校入学(6歳)までに育つ力とは神経系です。小学校では体力系、中学、高校時代は筋力系が育つと考えられていますが、この神経系の発達は0歳から2歳、3歳の頃までに豊かに育つと子どもたちと接していて感じます。

まず0歳児、何もできないから何も分からないから、あるいは赤ちゃんだから「こわごわ」接する。こんな考えが大きいでしょう。風邪をひかないように室温を保ち、皮膚が弱いからしっかり衣類でガードし、オムツかぶれが心配なので紙オムツを使い、体重が増えないから粉ミルクを(母乳の間に)入れ、育てる生活。これだけでも60年前とは大きく変わっています。冷暖房の無かった時代の0歳児はどうだったのか?コンクリートがほとんどなかったので今ほど高温ではなかったが、夏は暑かった。赤ちゃんも汗をかき、シッカロール(今は禁止)で汗疹(あせも)対策をしていました。そんな中で、汗腺も開き、体温調節のできる身体に育っていったのです。

今は夏は冷房、冬は暖房(床暖までも)の中で汗も流さず汗疹もできない。おかげで体温調節ができない弱い身体に育ち、少しの発熱で投薬、の繰り返しです。

紙オムツ使用も同様に、戦前はオムツカバーもなく、母親の浴衣で作ったオムツを腰ひもで結んで、尿や番を受けていたのが、戦後ゴムで作ったオムツカバーができ、排尿排便がはみ出さなくなり、便利になった。でもこの便利さは、子どもの皮膚感覚にはそれほど影響はなく、不快感は残り、泣く。泣くことでオムツ交換をし、親子の交流が生まれていましたが、紙オムツになった今、一番大切な不快感すら感じなくなり、泣くことを知らない0歳児の多いこと。大人が都合の良い時に交換する、あるいは紙オムツの色で交換を伝えるなど、子どもと大人の交流はまるで無である。人が人間に育つには、人と人との交流があってこそ育つのですが、このことがどこかに忘れられています。その結果、育つ力は弱くなっていると思うのです。

 

神経系の発達には全身の皮膚感覚から五感の働きを忘れてはなりません。40年前(開園当時)の子どもたちは、水の音にもとても敏感でした。蛇口から水が流れ落ちる音にハイハイをして近づき、手を出す。ある時は雨の音につられて庭に出る。やっとハイハイが始まった子どもが、自分の内面の要求のままに身体を移動させていたのですが、近頃は(成長の過程として)ハイハイせずに歩きだす。あるいは、十分なハイハイの過程をたどることなく歩行が始まります。何故だろう?這いずることの大切さを大人が知らないから。あるいは、這いずることより歩行を価値としていることからなのでしょうか?環境のためでしょうか?身体のゆがみがある為でしょうか?

どんな理由にせよ、赤ちゃんのハイハイは遊びであり、その中で神経系の発達、また、背筋、腹筋、肩の力、足指の蹴り(足首の力)、首の力、手の開き、全ての力、要するに全身の感覚と力を付ける、最良の動きであることを、大人が知ること。これだけでも生きる力はつくと考えます。

文化的な生活の中では、部屋に家具も電器類も多く、親の姿を追うより物(遊具)を追う方が先になる。保育園ではなるべく道具は少なくして、人との関わりを大切にしています。また、遊具は最小で木、布、紙など、道具では台所用品が多くあります。テレビで時間つぶしをさせないでくださいね。ビデオも同じ。受身になるだけでなく、視覚ばかりで他は働いていない状態になります。子どもの発達に向き合ってあげてください。親を信頼する子は、人を信じる子に育ち、人を大切にする子になります。歩行が始まり(1歳から1歳3、4カ月)、人との関わりの中でより豊かに育っていく過程が、その先に待っています。

歩行が始まり、一人遊びから平行遊びも始まります。その経験の中で、かかわり遊びへと展開し、けんか(物の取り合い)で自分の力を知り、発信することの大切さ、楽しさを知ります。ここで大切なのは、過保護過干渉は禁止ということです。けんかも経験しなければその始まりと終わりを知ることはできない。けんかの後も子どもは仲良く遊べる。このことに早く大人は気付き、大人は子どもの力を信じることが大切だと考えます。

3歳頃までの物の取り合いや主張のぶつかり合いは、その先の仲間遊び(4歳、5歳委)でも大いに役立ちます。それは、相手を受け入れる力。自分の考えを言葉と行動で伝える力。共に力を合わせる力へとつながっていくのです。

今回の川遊びでは、浅瀬でカニやオタマジャクシを見つける遊び、手と目の協応(※複数の器官や機能が互いにかみあってはたらくこと)の働きである、捕まえる遊びでしたが、どれも五感の働きが関係していました。また、川へ子どもを投げ入れる遊びでは、大人と子どもの関係がつながりましたね。また信じる力、親でなくても大人が自分を受け入れてくれる、これを体験しました。すごーいチャレンジでしたね。始まりと終わりのある遊び。大胆な遊びも、この時期だからこそです。頭で考えるより感じて信じる体験です。子ども同士の遊び環境を作ること、また、親と子が信頼関係の上に遊びきることが、土台作りには大切であると考えます。

 

 

 

 

どこかで目にした本のタイトルに「幼稚園の砂場で子供は育つ」というようなものがありましたが、幼児になると仲間関係がより豊かになり、ごっこ遊びの中で社会性が育ちます。ただ、現在の社会、情報社会の中で大人が育児書に振り回されていると、子どもの主体性が育たなくなり、グループ遊びすらできない、一人一人になり、関わりのない人になってしまうと心配しています。人間らしく、暖かく、かつ大胆な昔の子育て、大家族の中で色々な大人に、また兄弟に囲まれ学び、受け入れられた子どもたち。そんな時代があったこと、また、子ども時代にはそれらが必要なのだということ。それらを今、取り戻すには、大人は頭を使わなくてはなりません。

 

地域、保育園、幼稚園が家族となって豊かな人間の育ちを、生きる力を自分のものとした子どもを育てたいと考えています。もちろん、先日の講演会に集まった方々は同じように考えている方々でしょう。より多くの方々に発信できる仲間でいてください。

 

最後に、宮崎にお招きくださったのは池田さんです。池田さんとは『子供の部屋保育園』でお嬢さんを受け入れた時からの関わりですが、保育園見学に見えたご両親に惹かれたのは私だったかもしれません。この二人の子どもさんを見たい、育てたい、そんな気持ちになったことを覚えています。そこから毎日毎日、午前中1時間~1時間半は保育園で一緒に保育をしたお父さん。「それはなんですか?」「何故?」多くの質問に、私は嬉しかったり、再発見したり、とても楽しい毎日でした。子育てってこんな関係が大切ですよね。一緒に育て、一緒に育ち合う。これからもそんな関係でいたいと思います。ありがとうございました。