日々の泡

2012年11月15日 / 日々の泡

「えみちゃん」と云う存在、そして「ドゥーラ」。

とうとう、1年8ヶ月を経て、私たち家族にとって一番の別れだった「えみちゃん」との再会を果たした!

来高のきっかけとなった、「なのはなこどもパレード」については、今回はちょっと横においておいて、私たち家族にとっての「えみちゃんという存在」について書いてみたいと思う。

私は二人目を出産して、サラリーマンをやめた。長男のときは、ベンチャー企業でしかも土日も夜も当たり前に働くような業界のなかで、初育休ももらって頑張ったけど、二人の子どもを抱えながら続けられる仕事じゃないということもつくづくわかった。

それに、キャリアウーマンでもない福利厚生の充実した大企業に勤めているわけでもない私が、そこまでして仕事にしがみつく理由はなかったし、「目の前の赤ちゃんはかわいい。そうだ、しばらく家にいるのもいいかもしれない…。」と思った。のは、実はほんの一瞬で、当時は11階建て8階のマンションに住んでいて、実家は近かったけど、その部屋の中で子どもとほとんどの時間を過ごすことになるだろう、仕事やめたら上の子の保育園もやめないといけない。うー、やっぱりだめだー!よくわからないけど怖い!と正直思った。

あのね、今になってみればわかるけど、子育てっていうのは大人一人でやると、とっても大変なのだ。その「子育て」っていうのは、「リアルに絶え間なく子どもの世話をする」という意味で。それが大人が二人、三人と増えれば増えるほど、楽で楽しいものになる。

「でもみんなやってる。他のお母さんはみんなちゃんとやってる。私もやらなくちゃ。」←これが、呪い。周りからもそう期待されるしね。

母親業(マザリング)独特のしんどさ、辛さはある種、社会的なタブーとしてあまり語られていないのだ。

それでまず、自分は会社をやめたけど、「フリーランスだ」と宣言し(←これは自由です)、長男の保育園を継続することにした。収入については、どうにかしてあとでつじつまを合わせることにして、保育園はやめずに済むようひとまず手続きを乗り越えた。

それで、次男が6ヶ月か、1歳になるまでに預け先をみつけ、なんとか仕事を続けていきたいと考えた。

現実は、そうは問屋は卸さず、今度は次男は立派な「待機児童」となり、保育所を探す旅がはじまり、この国の保育事情、子育て環境の貧弱さに本当にくやし涙を流すわけですが…。

それもさておき、そうして勝手なフリーランスを決めたときに出会った物件が、「メゾンリラ」という不思議マンション。いや、もともとずーっと気になっていた建物だったけど、運命的に出会ってしまい、すぐに引っ越しを決めた。住まいスペースと事務所スペースがある、100平米くらいの物件でした。

この場所なら、「フリーランス」が実現するかもしれない、孤立しない子育てができるかもしれない、そんな直感と期待。(いつもそんな「直感」を「現実的に決断、実行」してくれているのはオットです。ありがとうございまーす。)

それで何をするかよくわからないけど、つけた屋号が「リエゾン」。で、これまた何ができるかわからないけど、「リエゾン」を一緒にやってくれることになったのが、「えみちゃん」だった。彼女は古くからの妹の友人で、ずーっと知っていたけど、ちょうど長く勤めていた自然食品店の総菜部門を辞めたところで、タイミングがあった。

それから私たちの「リエゾンな日々」が始まるわけだけど、「リエゾン」にとってだけじゃなく、えみちゃんは、私たち家族、子育てにとっても絶妙な存在となったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもたちにとっては、母ちゃんではない、でも母的な存在。男よりずっとお世話もしてくれる。やさしい。でも母じゃなくてちょっと「好き」な感じ。

私にとっては、料理担当のえみこがいることはすばらしかった。リエゾンやりながら一緒にうどんを茹でて昼ご飯を食べ、カフェであまった総菜をうちの夕飯のおかずにしてもらい、私がパソコン仕事をやっている間にキッチンをついでに片付けてくれたりする。

周りの家族にとっても、第三者がいるっていうのは風通しがよくなるというか、ワンクッションおけるというか、いいものだ。

私が小さいときもそうだった。近所は下町のように行き来していたし、隣に住んでいた遠い親戚家族とは、本当に同じ家族のように育った。だけど、自分が親になったときは、そういった環境はすでになかったんだよなあ。

リエゾンは、事務所部分をシェアスペースにして、下階には日替わりカフェ「ウナ・カメラ・リーベラ」があって、結局えみことそこでカフェもやるようになって、かなりオープンな環境になっていった。そうなると今度は、子どもたちがちゃんと落ち着いて生活できるように、プライベートに気を使ったりもした。日曜は誰も他人をいれない、家族だけで過ごす、とか(笑)。

 

そんなあれこれをすべて話ながら一緒にやっていたのが、えみちゃん。

「子どもを生んだ女も、まだ生んでいない女も、生まない女も、一緒に子育てできるといいね」

「ONもOFFもない、ごっちゃにやりたいことをやって、経済的に自立したいね」

そんな夢を共有して、試行錯誤していたのが、リエゾン。

 

そんな日々が1年半たち、3.11が起きて、私たちは大きな衝撃を受けた。

それが「なのはなこどもプロジェクト」になって、今回のえみこ来高につながる。

 

さて、えみちゃんはそうやって、私たちと家族みたいに公私ともに過ごしていたのに加え、生まれたばかりの赤ちゃんがいるお宅で料理を作る仕事もしていました。

自然に「ドゥーラ」をやっていたんだよね。

「ドゥーラ」とは、出産前後の女性を支援する専門家のこと。うちの二人の息子を生んだ「松が丘助産院」の宗先生が理事となり、ドゥーラ協会というものが立ち上がっています。

「DOULA 母親も、すくすく育つ世の中に。」

http://www.doulajapan.com/

えみこはじめ、知り合いの何人かも講座を受けたり、資格をとったりしている。

 

話が飛ぶようですが、原発避難母子にとっても、避難先での出産に本当に必要な存在、「ドゥーラ」。

高知でも産院の不足は大きな問題、また病院で生むことの弊害は、実は産後にあると思っています。地域で子育てすること、その可能性が「ドゥーラ」にはある。

 

えみちゃんが高知へ来たら、「ドゥーラ」もやってほしいな、それが私の夢のひとつです。

 

 

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