新しい日々ー移住ノオトー

2014年10月31日 / 思い。

三砂ちづるさんより。

 

 

 

 

昨日の夜中に続いて今夜も

SNSのタイムラインにて出逢うことができた

三砂ちづるさんの言葉。

出典元がわからないため、

無断の掲載になってしまいますが…

少しでも多くのお母さんのこころに

届くといいなと思ったので

ここにてご紹介させていただきます。

 

 

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「子どもをいだく喜びにひたってほしい」

三砂ちづる

 

 

今、あなたはとてもとても忙しいと思う。

慣れない幼い子どもとの日々に翻弄され、

やってもやっても、やるべきことが終わらない

家の中のあれこれにため息をつき、

まして外で仕事のひとつもしていれば、

なんで私だけがこんなにがんばらなきゃいけないのよ、と

腹のひとつも立ち、

穏やかにぐっすり眠ってとろとろと夢を見る、

ということ自体が

どこか遠い世界のように思うのかもしれない。

おむつもかえなきゃいけないし、

おっぱいもあげなきゃいけないし、

ちょっと大きくなってきたら

「ママ、おしっこ」と起きてくるし。

ああ、私は毎日忙しい。

ゆっくり夢をみること自体が「夢」。

ゆっくり眠りたいだけ眠った、

なんていつもことだったかしら。

残念なことに、というか幸いなことに、

というか時間というものはゆくりなく過ぎ、

いま、あなたがやっていることはあと数年と続かない。

彼らは学校に行くようになり、

あなたの知らないところで

あなたの知らないことをする時間が増え、

あなたは夜はもう少しよく眠ることができるようになる。

そうすると朝早くから起きて弁当のひとつも作り、

子どもの外のおつきあいの後始末なども

しなければならなくなってくるけれど。

つまりはフェイズが移る。

私はもう50を過ぎている。

2人いる子どもは青年になり、

文字通り毎日どこで何をしているのやら。

見上げるような青年になって、

私の知らない彼らの日常はまぶしい。

この人たちはもう私の「手の内」では生きていないのだ。

ときおり私は夢をみる。

夢の中には子ども達2人がよく出てくる。

その彼らは、けっして今のような

「男に育った」彼らではない。

夢に出てくるのは、幼い彼らだ。

お話ができて、

自分のひざにのってくれるくらいの子どもである彼ら。

おそらくあと50年生きても、

夢の中の私の子どもは、

この大きさであるに違いない。

あのね、ママ、あのね、と、

とても高い声で私を見上げ、

「つまらないこと」をいちいち聞きに来たり,

報告したりする息子たち。

私がしゃがまないと彼らの視線とは合わず、

抱きしめれば腕に足り、

抱きあげれば、そのまま移動できる重さ。

私の手の届くところにいる彼ら。

おかあさん、いまあなたのひざにいるお子さんの

なんといとおしいことか。

母として、いちばんよい時期。

いちばん印象に残る時期。

あなたの子どもはいつもその大きさで、

あなたの夢の中で位置を占め続ける。

あなたが人生でつらいことがあった時、

あなたの子どもたちは、

そのような大きさであなたの夢の中に現れる。

それが現実と交錯する今こそが、

あなたの幸いでなくてなんであろうか。

涙ぐむようにして、

幼い子どもをかきいだく喜びにひたってほしい。

それはひとときの至福であり、

長き人生のうちで一瞬にして失われる、

人生の最も美しい時間だからである。

 

 

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一昨日初めて拝読したときは

娘たちと自分のことを考え、

今夜は母と私のことを考えました。

母も私をこんな気持ちで見ているんだろうか。

そう思ったらいてもたってもいられなくなりました。

 

 

素直でかわいかったであろうまおちゃんが、

ぜんぜんかわいい娘じゃなくなっちゃった。

ごめんね、ママ。

なかなか面と向かっては言えないけれど

きっとこのブログを読んでくれるだろうから、

ここに書きます。

大好きって伝えられてなくて、ごめん!

 

 

 

 

 

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