ある日メッセージをやりとりしていた
弟が書いてくれた言葉、
「みんなで生きよう!」。
誰も知らないこの街に引っ越してきて
人間関係も巡り巡ってきたよう。
楽しいことが続くいっぽうで、
思いが通じず涙したこと、
傷つけたこと、傷つけられたこと、
疑ってしまったこと、
心を閉ざしてしまうこと、
さまざまな出来事もあった。
それでも、今もこうしてここに暮らしているのは
きっと目に見えない何かの計らいがあっての
ことなのではないかと思う。
3年半前、九州の他の県に見向きもせず、
なぜか迷いなく宮崎を選んだ。
びっくりするくらい迷いがなかったのは
なぜなんだろう?と今さらながら思うことも。
祖父母や両親、ほとんどの親戚は東京、
弟夫婦はNPOの活動をしながら千葉で暮らしてる。
今まで家族に頼りっぱなし甘えっぱなしの
暮らしをしてきたから、
ここ宮崎は自立と自律をするために
無意識に選んだ場所なのかも知れない。
新しい場所で
みんなで生きることを学ぶために
来たのかも知れない。
さて、ある日、弟夫妻から贈り物が届いた。
手描きの手のひらアートのかわいい動物たちと、
かわいすぎるニットキャップと腹巻き。
義妹のRちゃんが娘たちのために
編んでくれたものだそうだ。
数十匹の犬、ヤギ、にわとりなど
たくさんの動物たちのお世話で
きっととても忙しいはずのRちゃんが
時間を作って編んでくれたと思うと
胸がいっぱいになる。
そういえば母も私が小さいとき
編み物をしていたなぁと思い出し、
そのスピリットを隔世遺伝?かのように
Rちゃんがもっていることが
ひそかにうれしい。
そうだ、そうだ、
みんなで生きよう!の話、
以下は個人的なメッセージも含めて……
「みんなで生きよう」は人と人という
意味だけじゃないように思っている。
自分の身体のあらゆる臓器や細胞なんかも
ぜんぶひっくるめて「みんな」。
だって毎日、彼らも一緒にいるから
生きていられるのだから。
身体のどこかが悲鳴をあげているならば、
そこだけに意識を向けるのではなく
身体全体を俯瞰して見てあげること。
前にも書いたけれど、
西洋医学の視点と東洋医学の視点、どちらも大事。
人と人の「みんなで生きる」のためには
自分の身体の「みんな」とも「ともにいき」て
いくことが不可欠だもの。
どうかいつまでも元気でいて欲しい!