Vol.2 3.放射能・体験&悩み編
●事故直後のこと
Endo(以下、E 長男2歳、東京在住) 2011年3月11日を境に世界が変わってしまったよね。それぞれの家庭がどんな選択をしているのか知りたいけれど、その前に福島第一原発事故の直後の体験や悩みを共有できるといいな。
Sueyoshi(以下、S 長女2歳、東京在住) うちは、たしか3月15日から娘と二人で神戸の実家に避難していたけれど、新居への引越しを控えていたので4月1日に東京に戻ったの。そして5月に引っ越し。娘もヤンチャになってきた頃で、引越し前後は手いっぱいな毎日。得られる情報も少なかったな。
各地に放射性物質のホットスポットがあるかも、という情報がネット上でチラホラ出てきたのって、6月くらいだっけ? うちが借りていた埼玉の農園の近くもホットスポットらしい!?と言われ始めたのもその頃だったかな。でも、実は5月に農園に行っていたし、よりによって娘がもぎたてのイチゴをその場で頬張っていたのよね……。
重大なことを後から知らされても、後悔するしかない。それが一番悔しいし腹立たしい。しかも、その頃の当該市のホームページではホットスポットであることを否定していたりして……。情報が錯綜していたよね。
このイチゴの件があってから、「政府の後出しの発表をアテにしていてはこどもを守れない! 受け身の情報ではなく、自ら進んで真の情報を得る労力を惜しんではならん!」と心を改めたわけ。
Kaji(以下、K 長女1歳、東京在住) 3.11直後、私はもちろん周りのどよめきもすごかったよね。特にこどものいる家族は一目散で東京から脱出しようとしていて、私も目に見えない大きな不安から逃げたい気持ちでいっぱいだった。だけど夫がとても冷静に「いろいろな情報に惑わされてはいけないよ。僕は、まだ避難するべきだと判断しない」と。数日間ろくに外にも出られず、ニュースを見ている毎日にも嫌気がさして、15日から母と娘と3人で1週間だけ沖縄、夫の出張に合わせて京都に行ったの。今となってはいい旅の思い出。
Yasuda(以下、Y 長男5歳、次男2歳、9月に高知へ移住) 震災直後は原発事故の危機感がなくて。14日の朝、保育園が停電の影響から「親が在宅の人はできれば休んでほしい」と電話があった。話しがずれるけど、在宅フリーランスという立場ってそれなりに面倒なことがあって、園から言われたときは「また“在宅だから”って!」とカチンときたくらい。でも結局2日間休ませて、今から思うとそれはよかったな。 だけど家に閉じこもっていることに飽きた子どもたちと外で30分くらいサッカーしたんだよね。それがまさに15日だったかも……。ときどきそれを思い出すよ。
Nakano(以下、N 長女6歳、東京在住) 3月11日はうちの子が登山遠足に行っていて、帰りの電車の中で地震にあって帰宅難民になっちゃったんだよね。避難所になっていた小学校で1泊して、翌日の朝みんな元気に帰ってきたんだけど、あのときから色々なことが変わっちゃった。3月12日の東京はとても天気のいい朝だったのをはっきり覚えている。その後は、出勤できないスタッフがいるため自宅で見られる人はお休みをーーといわれ、1日だけ保育所を休ませた。でも仕事もあったし、以降は登園。
Ikeda(以下、I 長女1歳、7月に宮崎へ移住) 娘は1、2日保育園を休んで、あとは登園したかな。ネットから情報を仕入れては保育園に「今日は窓を閉めた方がいい」とかって何度も電話してた。当時私は会社員で、震災直後の日程で撮影を組んでいたこともあって、東京から出るに出られずにいたの。マメ(夫)は「どこかに避難したら」って何度も言ってくれたんだけど。でもその撮影をお願いしていたスタッフのうち3人が撮影日の前々日になって仕事をキャンセルして避難しちゃってね……。雑誌のページが抜けることは許されないから必死に他の方を探してたわ。受けた仕事を突然放り出すなんてありえない!っていう気持ちでいっぱいで、だから最初、避難・移住に対してすごく偏見というか、無責任な行動だ!って思い込んでしまったんだよね。もしもあの撮影前にあんなことが起こらなかったら、私はもっと素直に短期避難とかしていたんじゃないかと思うこともあるよ。自分の意地で、娘を危険なめに合わせちゃったと思うと、ずごく申し訳ない気持ちでいっぱいよ。
E うちは事故後数日はほとんど家でこどもを見ていられたよ。夫婦で交代で仕事を休んでね。17日早朝に友人が電話をくれて「西に逃げた方がいい」と。そこで別の知人で、いつも悩みごとがあると相談していた人に「どうしていますか?」と電話したら「今逃げてパニックを煽ることは私にはできない」と言われてね。職業的な責任感もあってのコメントだったと思うけれど、同じような職業なため「ウッ」となったよ。もし自分が逃げるにしても周りに言うわけにはいかないのだと。あの時点では、事態が収拾不能になって絶望的になった場合、首都圏がパニックで逃げられなくなるということが一番怖かったな。
K あの緊急事態が嘘のように、たったの数ヶ月で、東京の街は日常を取り戻したよね。今のこの状況にもとても違和感を感じるな。
●周囲との温度差
E 放射能の影響というのはまだよくは分かっていないし、後になって分かる。分からないから怖いし、心配だし、できるかぎり避けたい。放射能をどれくらい危険視するかは人によって考え方が全く違うのはわかるけれど、こどもを育てる母親としては「たぶん大丈夫だよ」みたいな楽天的な気持ちには到底なれないよね。
I 周りとの温度差は大きな悩みだな。宮崎は福島から遠いからなおさら。こちらでも食べ物に気をつけないと内部被爆はもちろんしていくと思うんだけど……。
Y 私は夫との温度差を感じる。夫は仕事が忙しくて、講演会とかデモに行くとかできないから。もっと社会参加してほしいな。
K 私は親との温度差。仕事をしている関係上、どうしても週1~2回は、実家に保育を頼むことがあるんだけれど、母の作ってくれた料理に対して、私がいちいち「この豆腐はどこの?」「キャベツはどこ産?」「魚は食べさせないで」とか質問攻めにすると「気にしすぎよ!何も食べられないじゃない!!」と不機嫌になってしまうこともあるの。
S 8月に鹿児島の夫の実家に行った時にね、魚介類とか果物とか、産地が気になるものが出てくることがあったの。やんわりとお断りしたいところなんだけど、なかなか断りきれなかった。なので、今回の滞在(昨年12月)では私が食材の買い出しに行くようにしたよ。それでも完璧にはいかなかったけどね(苦笑)。
私としては、実家の畑で採れる野菜を使った普通の田舎料理をいただけるだけで十分ありがたいのに、孫に食べさせようと、わざわざデパートの物産展へ買いに行ったというホタテやカニが初日から食卓に並んでいたりして……。ありがたいことなんだけどね。
Y「子どものことが心配で、それを理由に鹿児島に行きます」と言うといいと思うな。いい悪いではなくて、正しい正しくないではなくて、とにかく心配なんだ、と。
S そうなんだよね。夫は同じスタンスなので助かってるよ。私のこと「戦友だと思ってる」って身内に言ってくれたので、嫁の立場は何とか持ちこたえたかな(笑)。
E 身近な人たちもこのサイトを見てくれたらいいな。それで伝わることがあったら嬉しいよね。
●こどもに説明、難しい。だけど理解しているよ
Y ナカノさん、こどもに(放射能について)お話ししている?
N してるよー。微妙な年齢だけどなんとなくわかってるのかな。雨が降った後は体によくないものがいっぱい、水たまりに入らないように、雨には濡れないように。今までは雨が降ったら、かっぱ着て雨どいの下で「滝サブロウだ〜〜」という遊びが娘のお気に入りだったけど、今は絶対無理だね。
Y 長男は3.11以前に突然のにわか雨で「シャワー!」とか言ってずぶ濡れになった経験があるのね。でも3.11以後は雨が降ると親子3人とも合羽を着て、まるでてるてる坊主。私も「雨に濡れちゃだめ」とヒステリックになっちゃって。こどもは合羽脱ぎたがるしね。心苦しいけど、ちゃんと話さなくちゃいけないよね。
N 保育園のこども同士でも話が出るらしくて、うちの子も情報を仕入れてきてある日スーパーで「どこどこの牛肉は毒が入ってる!」って大声で言ったときは驚いた。
●大切にしていることは?
E これってまだまだ始まったばかり。この先が長いよね。気持ちをしっかり持っていないと押しつぶされちゃうよ。生活や食事など気を遣うことが多いけれど、それだけではないもんね。ほかに大切にしていることがあったら教えて。
I 笑顔でいること! 現状を理解し合える人、話がわかる人を作ること。家族と何度も話し合うこと。情報をお互いにアップデートしていくことも大事。
Y 家族が健康に仲良く暮らすために何が大事かを見失わないこと。命のある恵まれた暮らしを当たり前と思わないと同時に、望む暮らしは自ら選ぶことができると信じること。
S 私は夫との情報共有かな。両親が同じ意識で子供を守りたいからね。
K 知識を身につけること。その上で、できる限り安心で安全な環境を作る。でも、あまり神経質になりすぎると楽しめなくなってしまうので、臨機応変に。夫婦間でも意見が偏りすぎないようにバランスを取るようにしている。
N 大人もこどもも、どうストレスを軽減するか。現状とどう向き合って暮らしていくか。かな。
E 人と密に語り合うことは大事だよね。あと私は完璧は無理という気持ちかな。完璧にと思うと疑心暗鬼のかたまりになりそう。誰にでも後悔はあるし、悩みはつきないけれど、こういうふうに共有できる仲間がいるのは本当にありがたいです。さて次回はいよいよ移住の話。
*vol.2-4は約1週間後の更新予定です。