日々生き編集会議

Vol.2 4.放射能・移住編

 

 

 

●それぞれの立ち位置

 

Endo(以下、E 長男2歳、東京在住) 放射能が出てしまったこの世の中で、私たちは生きていかなくてはならない。それぞれに考え方や境遇があって、立ち位置というかスタンスというかを選んでいると思うのね。みんなの今のスタンスを教えて。

 

Ikeda(以下、I 長女1歳、7月に宮崎へ移住) 普段の生活を徹底して内部被曝を避ける。外部被曝については事故現場から極力離れることで避けてるよ。何歳だから被曝していいなんてないし、被爆していい人はいないと思う。私はもう○○歳だから食べていいのと言う人がいるけれど、無責任よね! 大人はそういうスタンスでなくて、大人もこどもも同様に被爆しない生活を心がけて、いい未来を託せるように努力しなくちゃ。

 

Nakano(以下、N 長女6歳、東京在住) 東京を離れてどこかに行こうかな、とも思うけれど……。今はここにいる以上、できるだけリスクをなくして暮らすことを第一に考えている。まずは内部被曝を避けること。口から入るものは選べるわけだから、徹底したい。娘は来年、小学生になるの。(移住によって)今と環境が変わることにはリスクがあって、悩みどころなんだよね。「あの学校に行って、どんなふうに過ごす」というイメージが、彼女の中でもうできちゃっているから。自分自身の仕事へのふんぎりもつかない。夫は「仕事やめてもいいよ!」と言うけど、どこまで真剣なのかは定かではない感じだな。

 

Yasuda(以下、Y 長男5歳、次男2歳、9月に高知へ移住) (高知の)同じ保育園で、3月14日に東京から引っ越してきた家族がいて、旦那さんも仕事辞めてきたんだって。そういう人の話を聞くと、3月中旬……15日、22日の被曝は大きかった。今の知識があればきちんと対策できてたよねと思うよ。思えばあの時期東京にいなかった安心感って替え難い。何も知らずに過ごしててたし、結果的に直後の被爆が大きかったわけだから。東京にいていろいろ気をつけるといっても、やりきれない。実際のところどれだけ危険かもよくわからない。だからひとまず東京から離れよう、と思ったんだよね。うちは夫婦とも東京出身だから母子だけ疎開というわけにもいかず、移住するしかなかった。将来は原発のない国、たとえばポルトガルに住めたらいいなー、とか思ったりして……。あはは。

 

E うーんなるほど、西の西の端ね。

 

Y 高知は結構フォールアウトしてるんだよね。放射能は今も身近にある。どこに行っても世界中にこの問題はある。そういう意識でいないとね。ただ逃げればいいでもない、並行して昆布ひとつ確認して選ばなくてはならない。そのあたりのバランス。どこで決断して生きていくか、日々試されているよね。緊張感を持ち続けているよ。

 

Sueyoshi(以下、S 長女2歳、東京在住) 私は子供を守りたいの一心。それだけ。

娘は側溝や水たまりに進んで入りたがるし、雑草も枯葉も触ってみたいお年頃。そういうのを制止するのが本当はイヤ。本来であれば汚いわけではないものなのに。でも、そこに放射性物質がついているかもしれないと考えると、どうしても手が出そうになる。うちの子、自分の指を口に入れることが時々あるもんだから。

本当は自然にたくさん触れさせてあげたいのに、それが自然にできないこのジレンマ。……あとどれくらい続くのかなぁ。

阪神大震災を経験した時は家を失ったけど、「命があっただけよかった。これから頑張って生きていこう!」って思えた。でも、今回は収束の目処が立っていないから、なかなか前向きにはなれないのよね……。移住を考えてはいるけれど、瓦礫処理の問題や稼働中の原発のことを考えると…何処が良いのやら。

 

E うちも移住ということも考えてはみたけれど、家族は一緒にいたいんだよね。夫はこれまで仕事を頑張ってきて、今ちょうど成果がどう出るか楽しみなタイミング。あと、経済的なリスクというのもよく考えてから。何より私自身が、あれこれ読んだり講演会へ行ったりして「今すぐに、なにがなんでもここを離れなくてはいけない」というまでの気持ちにまでなっていないんだよね。工夫しながら何とかやっていけるのではないかなという感じ。幸いなことに保育園は宮崎のお野菜を取り寄せてくれているし、お母さんたちも意識が高くて、お互いに話し合ったり助け合ったりできる環境があるしね。萎縮した気持ちで日々を暮らすことが一番よくないんじゃないかな。注意深くなければならないけれど、そこのバランスが難しいね。

 

Kaji(以下、K 長女1歳、東京在住) 起こってしまった現実は変えられないよね。心配はきりがないけど、前を向いて歩くしかないという気持ちだな。親としてできる限り子どもを守ってやりたい。そのために、今できること、必要な知識を身につけることは大切でしょ。スーパーで買い物をする時、公園で遊ぶ時、色んなことが気になって、ついつい眉間にシワが寄ってしまいがちだけど、明日がある限り前向きに、ハッピーに生きていきたい。こんな時こそ毎日の“笑顔”は大切だと思うから。もともと「いつかは海と自然のある場所に住みたいね」と話していたので、そう遠くない未来、我が家でも移住計画がある。ただ、6月にマイホームを建てたばかりだし、仕事のこともあるし、もう少し準備期間が必要そうだな。

 

S うちも5月に家を建てたばかり。移住となると、たしかに準備が必要だよね。その点、マオちゃんご家族は決断と行動が早かったよね。私の知り合いの中で初めての移住だったので、よく覚えてるよ。

 

 

●こどもたちの様子

 

E 事故後こどもの体調に変化はあった?

 

N うちは食欲はあるし、夏に体重ちょっと落ちるのはもともと。口内炎、くま、鼻血などはない。今のところ丈夫な方ね。

 

S 免疫が落ちたような気がする。食事に気を付けているけど、風邪を引きやすくなったかも。子供も私もね。雨の日の翌日にアスファルトの上に落ちたものを誤って食べさせてしまって、その後に具合が悪くなったことがあってね。結果的にはただの風邪だったようなんだけど、すごく心配だったよ。食べたものが関係ありませんように……何もありませんように……と祈るしかなかったな。

 

Y うちは当時(中野区の保育園で)給食だったのね。とにかく4月から8月まで二人とも体重が増えなくてねー。5歳で増えないことはあるらしいけど、次男2歳が4カ月増えなかったの。9月の園だよりで、園児の3分の1の子が8月より体重が落ちたって書いてあったよ。感染症も流行ってた。長男は1歳から預けていたけれど、こんなことは初めてだったな。長男に口内炎と、クマが出ていたけど、高知に引っ越してから口内炎が治った。2週間くらいですっかり。これほっとしたこと。元気になったよー。外で遊ぶ時間は変わっていないよ。

 

I そうそう、うちもまったく同じ。1歳半過ぎでも体重10kg越えないまま、5ヶ月くらい体重が増えなかった。でもすごい立派なおなかなの(笑)。クマはね、当時は全然気づいてなかったんだけど、先日以前の保育園で最後の方に撮った写真を見たら、目の周りが赤黒いのよ。夫とふたりで絶句! あー、相当被爆させてしまっていたんだと懺悔した。今はすごく健康。クマもないよ。この間、ハヤリの風邪に初めてうつったけれど、それまで全く体調崩さず元気だったから。

 

Y うちも健康になったと感じるな。長男は喘息で敏感な人。毎年10月になると体調崩してたんだけど、今年は発作もなくて助かった。引っ越しやらバタバタしてる時期だったから。ちょうど体力がついてきたんだと思うけどね。

 

E 高知や宮崎は、放射能も安心だけど、空気もきれいそうね。

 

I 突然だけど、熊本ってすごくおしゃれな街なの。東京で通ったあの店この店があって、さらに地元のセレクトショップとかもあって、刺激的なのね。町並みは横浜みたいなイメージかな。路面電車も通ってて。先日、わーキャー楽しく出かけてきて、宮崎に帰ってきたら……急に空がすこーんって広くて! 飾り気なくて、空気が美味しくてびっくりしたよ(笑)。

 

 

●選択肢があるというだけですごいこと

 

E 移住という選択肢もあるけれど、経済的リスクというのをどうしても考えてしまうな。

 

Y 被災した人たちはあの日、一瞬で全て流されて失った。自分たちは命があって引っ越し準備ができた。それにあの事故以来、家に帰れず避難したままの人を思うと、東京で選択肢があるというだけですごいことだという気持ちで移住した

 

I 夫はね、ある集りのアンケートで「震災をきっかけになくしたものはなんですか?」という問いに対して「自分にとっていらないもの」と書いていた。それを見て、私も同じ!と思ったんだよね。仕事とかキャリアとか「なんでその職業を!」と言われたけれど、ちっとももったいなくなかったな。それに私たちは気持ちの整理する時間があったから恵まれてた。周囲の人も誰も反対せず、それってすごく幸せなこと。それで充分。

 

 

家族がいろんなことになっている

 

S 都内の幼稚園の人工芝で0.24μSv/hも出ていたんだよね。そこにこどもたちが寝転がったり走り回ったり運動会したり。みんな知ってるのかなー。たとえその芝を剥がしたとしても、今もまだ放射能は降り続けている。剥がした芝もゴミになるわけだし……。これから幼稚園や小学校を選ぶ際のチェックポイントも増えちゃったよね。

 

I そうだねぇ。今はこどもがまだ小さいから親が守れるけど、中学、高校、大学は親の一存では決められないよね。

 

E 友だちのお兄さんは起業していてね、3.11をきっかっけに会社を東京から関西に移したんだって。で、家族で引っ越そうとしたら、お嬢さん、確か中学生だか高校生で、「私は行かない」って! 今はパパだけ関西にいるらしいよ。

 

Y 家族がいろんなことになってるね。

 

I 「うみがめのたまご〜宮崎に来たお母さんの会〜」は宮崎に避難、移住、または避難検討している方たちの集まりだけど、その形態はほんとうにそれぞれ。人の数だけドラマも生き方もある、と思う。

 

Y うちは夫が東京の実家に残っているの。春に会社を辞めてこちらへ来る予定なんだけど。ただ、戦争、それに匹敵するくらいの非常事態かもしれない。周りが普段通りだから平気なのかな?とも思ってもちろん迷ったし、気持ちは揺れたよ。でも、子どもがまだ小さいから移住できなくはないと思って。で、今は夫とは期間限定の別居。

 


夫の決断

 

Y 私は仕事的には東京にいなきゃ困ることもなかったけど……夫は、仕事という意味で大きな決断をしたと思うよ。今のところ春には辞めて高知に来ている予定だから。こどものことを考えた移住についての判断は早かったんじゃないかな。東京は、移住するか残るか選べるのが悩ましい!ね……。

 

S 東京は、大丈夫なような大丈夫でないような……、この中途半端な感じが本当に悩ましい。

 

I 男性と女性の違いがこれだけ顕著なのか!ってくらい出たのが、この放射能についてだという気がするな。想像する方向性が違うというか。女性は目に見えない臭わない何かを一生懸命想像してるけれど、男性はリアリストだから見えない臭わないものは想像するに値しないという感じなのかしら、大丈夫だと思ってしまう人が本当に多いみたいね。あとはデータね。データを重要視するのはやっぱり男性陣だよね。きちんとデータ収集して彼に説明して、やっと移住にこぎ着けたという女性はたくさんいる。

 

Y 男の人は妻があれこれ言うより、身近な男の人が実際に行動するのを見ると影響受ける気がする。うちの夫は会社を辞めて家族と移住したマメ(イケダ・夫)くんが相当刺激になったみたいよ。



 

 

S 家族揃って移住するのがベストなんだろうけど、うちの場合、家族以外のこともあるのでね。タイミングを見計らっているところかな。娘はお父さんが大好きなので、離れ離れにするのもかわいそうだし。

九州と東京で週一で会うのは大変だよね?

 

Y 週一は厳しいね。でも離れていてもパパのことはずっと好きだと思うよ。それにしても、子どもたちの相手、ひとりで24時間ってすごい大変!! 二人とも同じ保育園に入れて本当によかったし、いまは母が東京と高知を行き来してくれてるので助かってます。

 

E マメさんに是非、移住の決断のことや、その後の実感をブログで綴っていただきたいね。放射能について語ろうと思うと、まずは自分たちのこどもを守るという視点だけでも話がつきないね。いまだ線量の高い地域で暮らしているこどもたちのために何ができるのか、こどもたちに良い未来を託すために何をすべきか? できること、するべきことがたくさんあると思うね。このサイトは始まったばかりだから、まずはこれだけの思いを共有して、今後に生かしていければと思います。今夜はひとまずこれで終了しましょう。おやすみなさい。