子どもの生きる力を育てる保育の秘密とは
鎌倉の里山でどろんこになりながら、薄着、裸足、ときには裸になって子どもたちが駆け回り、自由にのびのびとした時間を過ごす自然保育を実践している「青空自主保育なかよし会」。
ここの専任保育者である相川明子さんが第3回目の今、会いたい人です。
言葉もままならない幼いころから文字や数を学ばせる早期教育とは正反対にあるこの自然保育は、自然にどっぷり触れながら、子どもがもつさまざまな力を信じて、待ち、見守ることが基本。親ならばついつい、口を出し、手を出してしまいがちですが、ここでは”手は後ろ、口はチャック“がお約束です。そんな保育を27年間続けてこられた相川さんの子どもの育ちに関する考えや接しかたは、子育てのヒントになることがいっぱい。
実際になかよし会の活動を見学したレポートから、相川さんが考える、生きる根っこを育てる子どもたちとの接し方、”手は後ろ、口はチャック“その本質に迫ります。
まずは、保育見学のレポートから
3月のある日、朝から雲ひとつない晴天。風は冷たいけれど、お日さまのものとではポカポカと暖かく、気持ちのよいお天気でした。時間になると、集合場所にお母さんと子どもたちが次々と集まりはじめます。
今回は2歳児8名のグループの活動に参加。翌週にお別れ会を控え、年度の最終仕上げとなる日でした。子どもたちの胸には散歩で見つけた葉っぱや木の実、棒っこなどの宝物をいれるための大きなポケットがついています。この大きなポケットがなかよし会の子どもである目印のひとつでもあります。全員そろったら、着替え一式、お弁当が入ったリュックを背負って、さあ出発です。
向かうのは、鎌倉・谷戸の小高い山や畑、田んぼのあぜ道などの自然の中。舗装もされていなければ、手すりもないし、整った階段もない山道を子どもたちは臆することなくどんどん進んで行きます。1人が通れるくらいの細い道も、子どもたちは誰に言われることもなく、前の子に続いて1人づつ進みます。走り出す子、慎重に一歩一歩進む子、まわりの葉っぱや木に興味津々で立ち止まる子、その動きはさまざまだけれど、相川さんは子どもたちを先導する様子など全くなく、列に入って子どもたちの様子を見守ります。
散歩中は、子どもたちが口々に「青い花見つけたよーー」「白い花が咲いてるよー」と、小さな発見を報告しあいながら、楽しく時間は過ぎていきます。
自然に耳を傾け、目に映るものを言葉にする子どもたち。
こんなとき相川さんは「お花がきれいだね」などと、形容詞を使わないようにしているそう。それは子どもには子どもの世界のきれいがあり、大人のきれいを押し付けないようにするためだとか。
そして道中は、誰が何を取った! 私が先だ! などといった子ども同士のもめごとは、頻発します。そんなときも相川さんは見守るだけ、決して仲裁はしません。
「どんなときも子ども同士の関係をみています。なかでもけんかは子ども同士とはいえ、やりきることが大事。あとであっという間に、もとの関係に戻っているもの。その場では順位をつけたかったり、思いを確認したいだけのもの」と相川さん。
また、大きな棒を持って歩き、自慢気に見せにきた子にも「危ないから捨てなさい」とは決して言いません。「私は棒を持って転んだときに痛いから棒は持たないの」と言います。指示するのではなく、その言葉から子ども自身が考え、行動することに繋げるのだそう。
お散歩途中で事件発生!?
里山での散歩中、事件が! それは1人の女の子が足を滑らせて、たんぼの脇の泥沼に落ちてしまったのです。幸い深さはなく足もとが濡れただけでしたが、それでも足もとはどろまみれ。靴にはどろんこの衣つき。女の子はびっくりするやら冷たいやらで、もちろん大泣き!! でもそんなときでも相川さんは決して手を貸しません。
「あらまあ、そこの道は危ないから、向こう側から回っておいでって言ったじゃない。リュックに入っている別のズボンに着替えたら?」とやさしく声をかけるだけ。もちろんそんなことでどろんこになった女の子の涙は止まりません。「つめたいよぉ〜」と泣き続けます。
それでも相川さんはじめ、ほかの子どもたちは散歩を続けるのでした。でも泥沼に落ちてしまった女の子は、みんなの集団から遠く離れているものの、遅れながらも泣きながら後をついてきます。しばらくして……
「じゃあ○○ちゃんが着替えるから、みんなここでちょっと休憩しようか〜」と相川さんの声がかかりました。女の子の涙はまだ止まらないけれど、それでもリュックを下ろし、靴を脱ぎ、どろんこになったズボンを脱ぎ、着替えはじめたのです。こんなに小さいのに、大人が手を出さなくてもできるのね! たくましい姿でした(見学者涙…)。
そしてどろんこになった靴の中に葉っぱを入れて靴を履きます。なるほどーー、葉っぱの中敷! どろんこで濡れた靴は冷たいけれど、葉っぱを敷けば気持ち悪さが少しなくなるのね。たくさんのことを体験して、自分で考えて行動できるよう、育ちを見守ってきたからこそ引き出された力。3歳になったばかりの、小さな体に秘められた大きな力。
相川さんは後に「あの子はちゃんと自分でできる子。できることがわかっているから、手出しはしない」と語っておられました。子どもたちの中にある育ちの力。これを潰すも引き出すも、大人次第なのだなぁとつくづく、手は後ろ、口はチャックの意味深さを実感しました。
その後はみんなのお楽しみ、お弁当を食べる場所を求めてゴー! さっきまで泣いていた女の子にも明るい笑顔が戻りました。お日さまがいっぱいの場所でシートを広げて輪になって座ります。お弁当を食べる前には相川さんが絵本を読んでくれます。これも子どもたちの楽しみのひとつ。お弁当を食べ終えると、お母さんたちが待つ場所へ向い、今日の活動は終了。解散です。
3.11以降、さらに深まった母たちの絆
未曾有の災害をもたらした東日本大震災。そして福島第1原子力発電所の事故による放射能汚染問題は、自然に寄り添って活動をしてきたなかよし会でも、この出来事は無視することはできませんでした。事故後、お母さんたちと集まり話し合いを重ねたのだそう。そしてわかること、わからないこと、大丈夫なこと、そうじゃないことを考え、活動の中でルールを設けました。例えば、桑の実は食べない、きのこは触らないなど…。
「無理なことは無理と判断することが大切。母親たちはやっぱり不安、あのときはみんな気持ちが大きく揺れていた」。そして活動拠点となっているこの鎌倉の放射線汚染の状況を市が測定。その結果をふまえてなかよし会の方針は変えない、という決断をしたといいます。あるお母さんの話しでは「あのとき相川さんが方針は変えません、大事なことは変わらないって、はっきり言ってくれたことで迷いがなくなった」と。
なかよし会ではお母さんたちとの関係、絆をとても大切にしています。毎月1回、相川さんとお母さんたちが集まり、話す機会を作っています。子どもを通した単なる母同士の関係だけでなく、母たちの気持ちにも寄り添い、そして母自身が育ちあえる場所となっているのが、なかよし会の絆が続く理由のひとつなのかもしれません。
大事なことはいつの時代も変わらない
「私たちはみんな、自然に生かされていることを知ること」。と相川さんはおっしゃいます。それは子どもも大人も同じ。自然に触れて、小さな虫たちに出会い、小さな命を知る。春になると芽を出し、花を咲かせ、やがて枯れてしまう草花だって大切な命。山を歩き、植物に触れ、土にふれることで感じられる大切なことは、生きるうえでもっとも大切な“命”について知ることができるのです。机の前に座って、本を広げて教えられることではないからこそ、育ちの根っこに大切なことがしっかりとしみつくのだと。「自然は今も昔も変わらないし、子どもだって今も昔も変わらない。大切なことはいつの時代も変わらない」。
青空保育なかよし会を見学して…
子ども産んで、母親になって、すべてが初体験で悩むことだらけの母親業。そんなときに話しができる、相談ができる子育ての仲間を得られるなかよし会は、親たちにとっても欠けがえのない場所なのだと感じました。たくさんの目で子どもたちを見つめ、たくさんの手で育てあえる親たちの輪の真ん中にいるのが相川さん。やさしくも、しっかりと結ばれたなかよし会の輪は、この先もずっと繋がっていくんだなぁと、とてもうらやましい気持ちでいっぱいになりました。
そして徹底した“見守る”保育の素晴らしさは、のびのびと元気いっぱいで、子どもらしい子どもたちの姿がすべてを語ってくれていました。相川さんが実践されている、手は後ろ、口はチャック!という、じつはとってもシンプルな子育てで得られるたくさんのこと、子どもの力、そんな瞬間を待てる母になりたい、と強く思いました。
* 自主保育の草分け的存在のなかよし会。その活動は1歳、2歳の小さい組と、3歳の大きい組、2つのグループに分かれて、朝9時30分から13時まで、週に3日間。それぞれのグループに専任の保育者1名と当番の親が1〜2名加わります。また4歳以降の子どもたちは、親たちが作った「やんちゃお」という自主保育のグループで活動を続けています。
(文責・sachie nakano 写真・mitsuko endo)
なかよし会の映画:「さぁのはらへいこう」公式HP http://noharaheikou.com
相川明子さんの本:「土の匂いの子」コモンズ刊